はいこんにちは長野のお寺を開拓しまくってるかるめです。
今回は諏訪市にある仏法紹隆寺へいきました。
去年行われたタイの地獄寺ツアーで出会った、えりんぎさんにお誘いいただいたお寺。長野県にお住いの同世代女子。
タイと信州が友好都市になる日も遠…近くないな。
えりんぎさんは信州大学のOGで、以前所属していたゼミで、仏法紹隆寺の文化財登録へ向けた蔵書調査をされているとのこと。なんかスギョイ。そのお手伝いをさせてもらうために行ったのですが、お寺の広大な境内や庭園・仏像をみて手伝いそっちのけでハシャぎ倒していたのでほぼお寺の紹介記事です。
仏法紹隆寺とは
長野県諏訪市にある仏法紹隆寺は、大同元年(806)坂上田村麻呂が戦勝報告の際、今の諏訪大社上社本宮の近くにあった「神宮寺」と共に開基された。その後弘法大師空海により開山となり、永禄2年(1559)に現在地へ移建。読み方は「ぶっぽうしょうりゅうじ」で、仏法寺と呼ばれることも多い。
仏法紹隆寺には神仏習合の時代に「諏訪大明神」として祀られていた普賢菩薩像や運慶作と伝えられる不動明王立像がある。
諏訪大社にゆかりの宝物も多数残されており、このほかにも書籍、古文書、法具など6,000点を越える文化財や名勝庭園などがある。また秋には紅葉スポットとしても知られている。
茅野駅から約10分。高台にある紹隆寺
9月上旬の快晴の日。茅野駅から車で送ってもらった。ずっと「かやの」と呼んでいたが「ちの」だった。約10分後到着。境内は広々としている。緑が生い茂っていて清々しいなぁ。
まずは境内を案内してもらうことに。
長野県宝!不動明王立像
最初に向かったのは宝物殿。法具や仏具、掛け軸、仏像が所蔵されている。お目当ては長野の県宝に指定されている「不動明王立像」。
む!
あ!
えりんぎさんはそんなに喜んでくれるなんて嬉しいと言ってくれた。確かに通常25歳の女は菅田将暉を目の前にしないとこのリアクションはでない。不動明王は香川照之っぽいのですきです。
こちらの不動明王像は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した慶派の作品で、運慶作の可能性が高いと言われている。体つきはプニプニとしているが、顔立ちが凛々しく迫力に満ちている。思ったより小さい像で、持ち帰って玄関に飾りたい欲がでた。
そういや不動明王立像、イスムさんのフィギュア売ってたよ。ほしいなぁほしいなぁ~。
やさしいおぢさん買ってください。
宝物殿を出る際、えりんぎさんから「これは誰か」とクイズが。宝物殿の外の扉にあったものだ。
大黒天ですかね?と言ったら正解だった。嬉しい。ひとし君人形欲しい。
大黒天は食物と財福の神とされており、米俵の上に乗っている。この建物は今宝物殿とされているが、昔は食料を備蓄する倉庫であったことがこの大黒天でわかるそう。オモロ~~!!!!!
普段なら絶対に気づかず通り過ぎてしまうがこういった細かいところも教えてくれて為になった。
名勝庭園を眺めていると…
庭園も広くて見ごたえがある。
む・・・・・・・?
あの遠くにいるのは・・・・・
不動明王では・・・・・・・・・・・???????
この写真のどこかに不動明王がいます。
正解はここ!
この距離から見つけたのすごくないですか。私の推しセンサー高性能。
脇侍の制多迦童子が暑そうにしていた。
こういう庭園に突如として現れる仏像ってどういう意味があるんですかね。
ググる気ゼロなのでだれか教えて欲しい。
諏訪大明神として祀られていた普賢菩薩像
続いては普賢堂へ。お堂と緑の木々、相性抜群。ここでおにぎり食べたい。
お堂の中に入る前から普賢菩薩のお姿がみえる。ドキドキ。
ワ~~~~~ホワ~~~~
ビバ至近距離
現代の人々はお寺といえば仏さま、神社といえば神さまと認識する人が多いが、明治までは多くの日本人が神と仏は同一視していた。このお堂に安置される普賢菩薩像は、神仏習合の時代に今の諏訪大社上社本宮の近くにあった神宮寺で「諏訪大明神」として祀られていた。
しかし明治時代初めの神仏分離令を機に、廃仏毀釈運動が起こり、神宮寺にあった仏像のいくつかがこの寺に移された。仏像ぶっ壊そうとするなんてなんつーバチあたりな話や。
昔は今と違ってお寺がもっと身近な存在だった時代。昔の人、必死で運んだんだろうなぁ…。今こうして眺められるのは奇跡的なことなのかもしれない。
この像の後ろにある「普賢菩薩騎象像」もそうして人々に守られ移された仏像のひとつ。
後ろから見ると、後光ならぬ前光…?尊い…
私たち以外だれもいない中拝むことができ、贅沢な時間を過ごせました。
蔵書調査:聖教の整理
さぁいよいよ蔵書調査のお手伝いです。
仏法紹隆寺は弘法大師(空海センパイ)が真言宗を広める寺とし、「真言宗の学問の道場」として建てられた。室町時代頃から僧侶になるための学問とする場とされており、そのため多くの和古書が集められている。
蔵書は室町後期から昭和戦前までのもの。長野県は低温低湿の環境のため現存しているものが多いそうだ。ネズミの被害に合うこともあるそうだが火災で焼失などの被害がなく、これほど多くの蔵書が保管されていることに驚いた。
調査の流れ
2003年5月から調査が開始されており今年は16年目となる。仏法寺に保管される聖教は3000点以上あり学生の方々も蔵書の調査に協力している。
それほど膨大な時間がかかっている作業に少しでも携われるとおもうとなんだか恐れ多い。調査はこのような流れで行われる。
1蔵開き・虫干し | 資料の状態を把握するため蔵から1点ずつ風を通す。 |
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2仮番号の挿入 | 資料判別、点数確認のため中性紙の付箋を挟む。 |
3書誌カードをとる | 書誌情報を記録する為現物と既知の情報を照合しつつ記入。 |
4書誌情報の電子化 | 書誌情報を計量するためカードから情報を抜粋しExcelに入力。 |
5目録の作成 | 書誌情報を一覧するためExcel上で資料の成立年・内容・用途・形状などにより並び替える。 |
6蔵書票を貼る | 資料管理のため目録に従って資料を並び替え蔵書票を貼る。 |
7 文化財登録 |
資料の文化財的価値を認めてもらい、保存環境を向上させるため目録をもとに申請。 |
えめっちゃ大変やん
現在行われているのは6番の作業。今年中に文化財登録がなされるそう。
そんなついに登録になる直前の作業を体験できるの?いいとこどり感半端ない。
形から入るタイプなので作務衣着ました。レッツやってT〜〜〜〜RY
私以外の方は全員信州大学のゼミの学生や職員、OGの方々でした。
こちらが実際の蔵書。
手袋とかしなくていいんですか!?なんでも鑑定団みたいに!とアワアワしたが素手で扱って良いらしい。
和紙で作られた蔵書票をでんぷんのりで貼るという作業。えりんぎさんが丁寧にやり方を教えてくれたが新聞の顔面が気になって少し集中できない。
作業自体はハガキに切手を貼るようなものだったが、何百年も昔のものを扱っていると思うとなかなかプレッシャーのかかる作業だった。
ほかのみなさんも黙々と作業されていました。偉いな…。
すこし手伝った後は別の場所でずっと記事書いてた。(ロクに手伝わずすみません…)
庭を眺めながら作業できるの最高すぎる。コワーキングスペースにしていただきたい。
ひとりで黙々と記事を書いていると、途中住職さんが通りすがり、「暗くないですか」と言って電気をつけてくれた。どこの誰かも知らん人間にそんな優しい言葉をかけてくれるなんて…徳が深い…。
境内を見て回る前にも住職さんの奥さんに、ブログ掲載や写真撮影の許可を快くOKしていただいた。とってもウェルカムであたたかいお寺でした。
おわりに
蔵書調査のお手伝いをさせてもらったことで、日本の大切な文化はこうして人々によって守られているんだなと肌で感じられた。何百年先もずっと受け継がれていってほしい。
読みやすいサクッとした記事を書こうとしたのに3000字以上になってしまった。お付き合いいただきありがとうございました。
9月14日(土)〜11月24日(日)まで諏訪市博物館にて企画展「仏法紹隆寺─諏訪の真言道場 古刹の歴史─」が開催されています。
ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。
今回はとても真面目な記事でした。
では。
かるめ大将軍
仏法紹隆寺
場所 |
”長野県諏訪市大字四賀桑原4373”
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拝観料 | 一 般 500円(中学生以下無料)団体(20名以上) 400円 |
拝観時間 | 午前9時~午後4時 |
電話番号 | 0266-52-2241 |
拝観受付 | 要予約 |